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B C ・ B R

「日本と世界の子どもたちを救う会」

ブリリアント チルドレン ・ ブリリアント リーディング

 

≪呼びかけ≫

 

もうすぐ二十一世紀です。新世紀は、本当に平和で生きがいにみちみちた素晴らしい世の中になることを、誰もが願っています。そして、日本も大きな貢献をしていきたいのです。しかし、その二十一世紀を担う日本の子どもたちが、本当に病んでしまいました。学級崩壊、家庭崩壊、暴行殺傷事件等、今や小学生までに広がる破滅的状況が続く限り、この国の未来はないのかもしれません。

救済する手段、方途はいろいろ考えられますが、根源的には、日本人としての「生き方自体」を高めていくことが必要ではないでしょうか。「日本と世界の子どもたちを救う会」は、この「生き方」を高め続ける連続作業の実践のため、子どもたちと大人たちが一体となった「一大音読運動」を開始いたします。そして、真善美価値観からみて、より真実な、より善なる、より美的作品に子どもたちをかかわらせ、大人も享受することにより、心を、感性を、生命を、精神を掘り起こし、耕し、失われつつある「共生」の概念や「愛と友情」といった精神を復活させます。

「音読」には、子どもにとって、人間にとって、学ぶことが最も大切であろう、本当の「読解力」を身につける力があります。「読解力」が本物になれば、「自己表現力」が豊かになります。そして、新たな発想を生み出す強力な原動力になります。まさに、生きる力を高め、生きる世界を広くし、生きる意味をより深めるための有効な手段なのです。

生き生きと、歓喜と感動のあふれ返る音読運動を、私達は、「Brilliant Reading(ブリリアント・リーディング)」と名づけました。「Brilliant」は、「輝かしい」「聡明な」といった、未来への希望を抱かせる言葉です。日本列島のいずこの地でも、「Brilliant Reading」を展開し、生き方を高めながら、輝ける日本と世界を創造していきたいものです。

 平成十二年一月吉日

 

 

☆「日本と世界の子どもたちを救う会」の目的 ☆

  子どもの真の幸福を追求します。

  苦悩する子どもたちに対する、ヒューマニティの心を育てます。

  子どもから大人まで、日本人としての生き方を高め、世界との「共生」を創造する人間を育て、「世界の平和」が実現できるよう支援していきます。

 

 

 

 

 

 

〈 趣 意 書 〉A

 

 西暦2001年9月11日を境に世界は激変するのでしょう。「大国の興亡」の著者ポール・ケネディが指摘するまでもなく、間違いなく歴史の大転換の日、ターニング・ポイントになるにちがいありません。歴史をさかのぼる時、1517年マルチン・ルターがウイッテンベルクの教会に95ヶ条の抗議文を掲げた瞬間から、ヨーロッパ社会が劇的に変わっていったこと、1789年バスチーユ牢獄が襲撃された瞬間から世界が根底から変わり、1930年マハトマ・ガンジーが英国の塩税に反対し、行動を始めた瞬間からあの大英帝国が崩壊に向かいはじめたことが胸に去来します。

 それだけではありません。産業革命以来200年も続いた大量生産・大量消費時代がある意味で終わりを告げ、冷戦崩壊以後のアメリカの一極支配によるグローバリゼーションに影をおとし、アメリカ支配の世界構造が変わる可能性があります。ということは、世界構造の新パラダイムを喫緊に創造構築しなければなりません。ただ安易かつ短絡的に「テロリズム対反テロリズム」と図式をつくることだけでは賢明とはいえません。その発想から出発して、より奥深く、真に21世紀以降を切り拓くパラダイムでなければなりません。

 それほどに、今世界に鮮明に見えてきたものこそ、テロの恐怖、宗教を名のる狂気、原理主義の恐怖、第三世界の貧困、人口爆発、難民、食糧、エネルギー、人間的絶望、そして地球環境問題です。冷戦も終わり、「ああ戦争が終わった、これからは世界に平和が来る」と本当に世界の多くの人々は思いました。しかしバラ色のはずであった21世紀とは、実に本質的絶望感を人類に思い考えさせるほどの困難な世紀であろうことを、その多くが示唆し始めてもいます。

 地球環境問題など、20年前までは「間違いなく1000年間は人類は生きる」というのが専門家の一致した見識でした。しかし、この20年間の地球環境の急速な劣悪化には目を覆うものがあります。砂漠化はどんどん進行し、温暖化をはじめ人間の生存状況を追いつめる現象は枚挙にいとまがありません。かなりの地球環境の研究者が口にします。「西暦2050年には温度が10度上昇する。環境劣化はさらに急速にしかも複合的に進行し、ひょっとすると22世紀を迎える頃には人類は絶滅状態になるかもしれない」というのです。

 こんなことは絶対にあってはいけないことであり、私達は今「親と子で読む地球環境教科書」を作成するべく勉強と準備を始めました。英語版、世界各国語版も作成し、世界中の親子で読み、それを実践していけば人類が生き残れるという中身にしなければなりません。今こそ現代に生きる全ての人間は、@人間の尊厳 A自然の尊厳 B地球の尊厳 を決定的に意識し、遵守し、そこからの創造的発展を心がけることが求められます。

 そして人類生き残りのコンセプトをも考察しなければなりません。@非暴力 A共生 B国際的友情 C武士道的ヒューマニズム D知足 ぐらいの思想は、わが日本から世界に発信しなければならぬテーマなのかもしれません。

 誰がニューヨークの世界貿易センターが、それも乗っ取られた旅客機で爆撃され、倒壊することを予想し得たでしょう。炭素菌で死者まで続出する事態を創造し得たでしょう。人間の狂気というものが、ここまで顕現、現象化されるのを目撃する時、21世紀を担う子どもたちに投げかける言葉を一瞬見失ってしまいます。

 思うに人類が長年理想として夢見つづけてきた民主主義の重大要素の一つである「平等」概念が、ある意味で歴史上はじめて実現されたのかもしれません。それも皮肉なことにきわめて「負」の部分、すなわち60億の人間のそれぞれがテロによって、次の瞬間に抹殺される可能性をもつ地点に、同一かつ平等にたってしまったということです。

 

 

私は21世紀に生まれ、21世紀に生きていかねばならぬ多くの子どもたちに、深い深い同情の念を抱きます。それはある意味で、考えようでは歴史上最もつらく、醜い「生存状況」と21世紀を規定できるかもしれないからです。確かにモノは豊かです。建物も立派です。様々なシステムもそろっています。しかし人間としての自助努力が本質的に叶っていかない、花が咲いていかない可能性を、人間世界自らがつくりだしてしまっているということなのです。

 かつて戦争直後の日本は瓦礫の山であり、廃墟でした。しかし、「ここに新しい日本をつくるぞ!」と胸を張って額に汗をしたたらせた大人たちを見、子どもたちは、「すべては自助努力によって決まる」と志を持ち、腹をくくることができました。貧しくとも、苦しくとも、「切り拓いていける!」の希望心と夢見る心を満々とたたえる時代状況でした。心豊かに生きることに十全の願望と満足心を持ちえる社会でした。しかし、その時代に比し「生きることに絶望させる」要素が、あまりに深く、多様なのが今日的時代状況ではないでしょうか。

 だからこそ、だからこそ、「読書」なのです。今こそ「読書」なのです。「音読の巨大な効果」は「趣意書@」で強調しました。いや、「黙読」でもいいのです。いまこそ古典・名作・劇的作品・心揺さぶられる著作をひもとく時です。仏教の言葉に「地によって倒れたものは、地によって立ち上がる以外なし」とあります。人間が地球を、そして地球上を、これだけ病理化してしまったのです。この問題解決は、やはり人間の手によるしかないのもまた明快な事実なのです。

 現在の病理を乗り越えるには、それは気の遠くなるほどの忍苦と、学習と、人格の鍛錬と、寛容、良質な社会参加、そして巨大な問題解決能力を獲得しなければ到底かなうものではないでしょう。しかし、「危機」がこれほど明確化した以上、どれほど困難であろうとも、その壁に立ち向かうしかありません。真摯で粘り強い学習と実践を積み重ねるしかないのです。

 「日本と世界の子どもたちを救う会」の読書運動は、日本のそこここで地味ではありますが、目醒めた方々によって広く展開され始めました。強い意志で読書をする。そして自らを高めた者同士で、さらに議論を重ね、ステップアップしつづける、人間力・人格力を限りなく高めつづける。あくまで地道な実践ですが、社会再生、地球再生への特別な特効薬などあろうはずがないのです。まず、日本列島から読書の感動、読書の大歓喜、読書しての思索的深まりの実をあげ、多様な問題解決への大原動力にしていかねばなりません。

 ポリシーは、それこそ数限りなく考察しなければなりません。しかし、一切の根元は、やはりエネルギー源なのです。読書、音読―これこそ、前生命力を奮いたたせ、全人格を止揚昇華させる根源的パワーであることを知ってほしいのです。地球再生、世界の真の平和創造にこそ、まず日本人が立ち上がらねばなりません。ポール・クローデルが言った言葉が今蘇ります。「日本人は貧しい。だけど高貴だ。地上で決して滅んでほしくない民族をただ一つあげるとすれば、それは日本人だ」

 今の日本は、決してクローデルが言うような立派な国とはどうしても思えません。うぬぼれることなく、傲慢の轍を踏むことなく、謙虚に、淡々とやるべきことを一歩一歩やりきっていくしかないのでしょう。日本という国は、世界に貢献することを宿命とされている国に思えてなりません。

 大事とは、小事の、しかもたった一つの灯からはじまるものです。あのアメリカの南北戦争もストウという一市井の名もない婦人の著作「アンクル・トムの小屋」上梓が引き金になり、達成されたものでした。

 日本中が、世界中が、この世界の歴史のすべてが生み出した古典・名作・感動作品・文化財を腰をすえて学習し直していく時、現代の我々の愚かさと至らぬ所に気付き、人間として生きてゆく大切な「心の原点」「生き方の原点」「一切の原点」を覚醒させられる可能性をどうしても信じたいのです。

  平成十四年

                  「日本と世界の子どもたちを救う会」

                      代 表    濤 川 栄 太

 

〈 趣 意 書 〉@

 

 日本の子どもたちが、本当に病んでしまいました。学級崩壊などかつては中学校や高校での事件であったものが、今や小学校にまで下りてきています。小学校のそれも、高学年型と低学年型双方が出てきており、何と小学校一年生が、担任を無視してブラブラ歩き、担任がいくら制止しても言うことを聞かず、私語も止まらず、授業ができません。

 過日、東京のある小学校で起きたことです。階段の踊り場で、一人の女教師が五年生の男の子たちにリンチを受けています。殴る、蹴るの暴行が長くつづき、ついには、子どもたちはその女教師を階段から突き落とし、女教師は重体になってしまいました。栃木県黒磯中での女教師刺殺事件にしても、異常な病理行動です。犯人の中学生は、十数回も女教師をメッタ突きにし、殺したあと、その女教師の死体を足で蹴とばしています。この残酷行為の底には、何が横臥しているのでしょうか。

 神戸の酒鬼薔薇事件にしても、ゾッとする事件です。犯人の中学生は、殺した小学生の首を切り落とし、何とナイフで口から耳まで引き裂き、目の玉をくり抜いています。しかも、これらの残酷行為者の予備軍はひしめいています。金曜日、土曜日の深夜、日本中で暴走族が徘徊していない地域を捜し出すことは困難に近いのです。パトカーは、ただ彼等の後方を追走しているだけです。私が、「補導しないのですか?」と問うた時、警官はこう答えました。「私にも家族がいますから」。要するに、無法地帯ということです。その他、いじめ、不登校、無気力、無責任、麻薬等薬物、さらに子どもによる殺人事件はあとを絶ちません。

 それだけではありません。エリートといわれる青少年群も、病んでいるのです。一流大学医学部の学生が、女子学生を輪姦する始末です。偏差値秀才が、人間性において、野獣より劣る行為を平気でとる国になってしまいました。

 過日、悲しい記事が、アメリカの有力雑誌に載りました。「世界中の国々で少年少女の性非行で悩んでいるが、日本のみはそれが少女買春に連動直結している」。そして、その原因こそ、現代の日本文化というものが拝金思想に強く毒されており、精神や心、感性を磨くことなど大切な事を忘れ去っている、という強烈な指摘でした。私はこの記事を目にしたときに、「アメリカはどうなんだ!」と

心の中で叫びたい衝動にかられました。しかし、自国日本の子どもたちの実態を直視する時、抗弁する言葉は浮かびませんでした。

 制度をかえることも大切でしょうし、この教育荒廃を救済する手段、方途はいろいろ考えられるのでしょうが、根源的には日本人総体の生き方そのものを冷静にみつめ直す中で、その「生き方自体」を高めていく作業なしに、なにをやっても徒労になるように思えてなりません。大きな意味での「こころの教育」を成功させていかねば、一体この国はどうなっていくのでしょう。

 日本の子どもたちが、本当に本を読まなくなりました。読書をしないということは、即ち「考えること」を放棄することに通じます。それは、反省、自戒、自己をみつめる等の人間としてのもっとも大切な、人間的作業を切り捨てることにもなります。それは、人間が人格的に向上進歩していく上でもっとも肝要な、心を耕す、感性、精神、生命を耕すという実践を放棄することにもなります。このアリ地獄ともいえる教育構造に、日本の子どもたちははまりこんでいます。しかし、その姿は、実に日本の大人たち、親たちの生き方、生きざまそのものが日本の子どもたちに投影されているといったら言い過ぎでしょうか。

 私達は、今「日本と世界の子どもたちを救う会」を結成しました。そして、日本の子どもたちも、大人たちも、「一大音読運動」を開始します。そして、真善美価値観からみて、より真実な、より善なる、より美的作品に子どもたちをかかわらせ、その人間的価値、文化的価値、真善美価値を子どもに与え、大人も享受し、心を、感性を、生命を、精神を掘りおこし、耕し、「生き方」を高め続ける連続作業を実践していかねばなりません。

 もう一点、日本の子どもたちの学力の低下の実態は目をおおう惨状といっていいでしょう。わが子にきびしい叱責ができない日本の親たち。子どもたちはミニ皇帝と勘ちがいしているのか、親が「頼むから勉強してくれ!」と哀願するという、マンガともいえる風景が日常化しています。大学の学力低下も著しい状況です。技術立国日本の地位は揺らぎ始めています。歴史的にみて、教育立国として生き抜いてきたこの国の教育が、どうしてここまで荒廃してしまったのでしょうか。

 「子どもを不幸にするいちばん確実な方法は何か、それをあなたがたは知っているだろうか。それはいつでもなんでも手に入れられるようにしてやることだ」。こう喝破したのは、ルソーでした。このルソーの文章の中に、今の日本の子どもたちを病理構造の中に追いやっている原因と理由が示唆されているように思えます。

 もう、すでにこの子ども状況とは、最悪の国難、ガン末期症状といってよく、小手先の対症法や、思いつきの対策などではけっして解決できない地点にまで達しているのです。「学校教育がダメ」とか、「家庭力が落ちているからダメ」とか、「地域が崩壊しているからだ」とか、「文部省と日教組が悪い」などと、他人のせいにしている段階ではないのです。一人でも多くの日本人が、たとえわが子を持たぬ人でも、日本人の一人として、自らの問題、自らの人生の問題として正視眼でとらえ、かつてJF・ケネディが「アメリカが諸君に何をやってくれるかではなく、自分がアメリカのために何ができるかを問おう」と叫んだ心(エートス)の位置に、立つべき時が来ているのでしょう。

 そうなのです。明治の先覚者福沢諭吉は、こう言いました。「立国は、公にあらず私なり」。そして詩人宮澤賢治は、「世界に不幸がある限り、我に幸いはなし」といい残しました。この境地で生きることは、それはそれは困難なことかもしれません。しかし、今、日本人は、真の「幸福論」を身も心も惜しまず追求し、学習、実践する時に来ているのではないでしょうか。それが、直接・間接的に子どもの救済につながっていくことを信じます。

 マザー・テレサがこの世を去りました。彼女が日本に来た時、道路を歩き、ベンチに腰をかけました。一人の老人が倒れていました。多くの日本人が、せわしなく行きかっています。しかし、誰ひとりとして、その倒れた老人を助けようとする人はいませんでした。マザーは、こう口にします。「日本人は勤勉できわめて優秀な国民です。しかし、人間として一番大切なものを失っているように思えてなりません」。今、日本人が最喫緊に取り組むべきことは、この「マザーの言葉」の中にあるのかもしれません。

 世界に眼を転じると、何億という子どもたちが、飢えと貧困で死んでいっています。飽食社会の中で精神とこころが無機質化していっている日本の子どもたちに、この同じ人間、同じ子どもでありながら、生きる権利を奪われていっている子どもたちを真摯に見つめさせ、「では、自分は何をすればいいのか」を自問自答させるところあたりから、この国の子どもたちの蘇生、再生、飛翔は始まるのかもしれません。

 やることは無数にあります。あらゆる人間的智恵、文化的智恵、教育的智恵を結集し、子どもたちをよみがえらせねばなりません。そういう子どもたちは、果たして誰を教科書にし、モデルにしたかを考えることです。子どもの問題とは、実に、私たち日本人の大人一人ひとりの問題であることに、今こそ気づかねばなりません。中国の前首相李鵬氏は、訪問先のオーストラリアでこうスピーチしました。「日本?あの国はそのうち地上から消えてしまう」。ある意味で、この言葉をこそ、我々日本人が、憤度の心を抑制して、日本人大蘇生への最大教訓にするべき言葉なのかもしれません。

 我々日本に歴史的に内在する最高の創造的精神とは、「共生」の概念であると考えています。そして欧米文化が生み出したもっとも普遍的な精神こそ、「愛と友情」であると信じています。しかし、これだけ日本や世界が行き詰まっているのは、これらのすぐれたスピリットが、本当に生かされていないことを意味しています。ではどうすれば、これらの精神のルネッサンスがもたらされるのでしょうか。それこそ、もっとも素朴で足元の課題でもある、「子どもたち」との本物のかかわりにあると思えるのです。子どもを救いあげることとは、実は我々大人が子どもに救われることでもあることに、真に気づかなければなりません。日本の子どもたちが、世界の子どもたちと「共生」の原型を創造できたとします。可能性としてどれ程のものか神のみぞ知るものなのでしょうが、日本も世界も、人類が理想として、観念として弱々しく心に描く「世界平和」が、ひょっとして実現するのかもしれません。その遠大な夢と熱い思いの炎を、松明として子どもに託していきたいのです。

 時代のベクトルは情報通信革命に向かい、21世紀型資本主義体制に脱皮しつつあります。これはこれで、日本は勝利していかねばこの国の未来はないのかもしれません。しかし、コンピュータ社会とは、やはり無機質人間を大量にうみ出します。片面において生命感にあふれる有機質な実践こそ強く求められます。その、待望されるエースこそ、子どもと大人の共生で展開される「一大音読運動」

であると信じます。

 心というものは多分に音楽的にできています。「音読」をするということは、その言葉の持つ意味を声帯や呼吸の筋肉だけでなく、体全体を使って再現し、理解することを意味します。それは発声した声を同時に自分の耳で聞くことにもなり、言葉との関わりの深さは、黙読とは次元を超えたほど深くなります。人間をより高め、深くさせるものは「言葉と文化」であることを今こそ想起したいものです。そして、自分の音読に耳を傾けて聞いてくれる人があれば、思いを人に伝えるという、言葉本来の働きを深いレベルで感じとることができるという、実に豊かな経験となります。「音読」ほど子どもを、人間を高めるものはありません。

 日本列島のいずこの地でも、生き生きと、歓喜と感動にあふれ返る一大音読運動を展開し、生き方を高めながら、まずこの愛する日本国を再生していきたいものです。

  平成十二年

                    「日本と世界の子どもたちを救う会」

                      代 表    濤 川 栄 太

 

 

 

 

 

 

 

「日本と世界(ブリリアント)()子ども(チルドレン)たちを救う会」

 

 

「音読の効能」

 

 心というものは多分に音楽的にできている。「音読」をするということは、その言葉の持つ意味を、声帯や呼吸の筋肉だけでなく、体全体を使って再現し、理解することを意味する。それは、発声した声を同時に自分の耳で聞くことにもなり、言葉との関わりの深さは、黙読とは次元を越えたほど深くなる。人間をより高め、深くさせるものは、「言葉と文化」であることを今こそ想起したいものだ。そして、自分の音読に耳を傾けて聞いてくれる人があれば、思いを人に伝えるという、言葉本来の働きを深いレベルで感じとることができるという、実に豊かな経験となる。

「音読」ほど子どもを、人間を高めるものはない。

 私の教育者としての経験上、「音読」の実践で救われた経験は数限りなくある。国語の問題解決能力とは、他の教科的問題解決能力の分母に位置するように思える。勉強嫌いだった子が、「読み聞かせ」「音読」で本を読むことの価値に目覚め、国語が好きになり、国語の能力が伸びたことにより、他教科の能力が伸びたという経験を私は多く持つ。宮沢賢治の「よだかの星」をクラスでよく音読した。涙を出す子が出てくる。「生きるってことはすごいことなんだ!」「悲しみとの格闘が人間の心を育てる。」etc. 子どもたちはそれぞれの感想を心に抱きしめながら、「心を育てる」ことの大事さに気づいていく。

 また、登校拒否やいじめそのほか悩める子どもや親と、私はよく相談し合った。心を閉ざして親とも口をきかなかった子が、ポツリポツリと語り始める。「音読」には、人間の心にたまった夾雑物を溶かし、心の深層から人間に内在する「生きる力」を引き出し、水々しい生命感を引き出す力がある。

 そして、子どもに、人間に、学ぶことが最も大切であろう本当の「読解力」が身につく。「読解力」が本物になってくると、「自己表現力」が豊かになり、読解して獲得した「自分化したストーリー」「価値」、そして「個性やセンス」を自己直視したい深い衝動が出てくる。それを「弁論」で表現したり、「ディベート」しあいながら、生きる力を高め、生きる世界を広くし、生きる意味をより深めようとする本当の意欲が出てくる。

 「音読」とは、もちろん一人の孤独な実践から始まるのかもしれない。しかし、それが、広く、深く、多くに展開されてゆく時、地域も、社会も、国もきっと変わっていくにちがいない。

代表 濤川栄太 

 

 

   

 

 

      読み聞かせは愛の世界

 

 私自身、父親と母親が読み聞かせしてくれた時に感じたのは、

「あっ、読み聞かせっていうのは愛の世界だ」ということでした。

読み聞かせは、愛情の伝達として最高のもの、つまり、愛情の世界だと思います。

そこで私が今、お父さんとお母さんにお願いしたいのは、生まれたばかりの赤ちゃんを十分にだっこしてあげて欲しいということです。そしてこの、抱っこ、いわゆるホールディングの状態で本を読んであげることが、ものすごく大事だと思います。

 乳幼児期はお母さんが世界のすべてなんです。その時期に抱いて貰った、しかもお母さんがいろりろ読んでくれた。これは、「お母さんが僕を賢くしようとしてくれているんだな」「僕は母親から必要とされているんだな」と感じる初体験です。

お母さんは、子どもにとって、全世界、全宇宙なんです。

『子どもを本好きにさせる本』エコー出版より

 

 

以下、音読集「いのち輝く日本語の世界」(明治図書)濤川栄太監修より引用

音読のコツ

 

1 早すぎない

2 遅すぎない

3 感情を入れすぎない(入れすぎると想像力がわかない)

4 感情が入らなくてもおもしろくない

5 うまく読もうというより、いい声が大切

6 いい声とは、人柄、暖かみ、優しさの伝わる声

7 目は、少し先のところを読むようにする

8 句読点は、ひと息入れる

 

 

      音読に向く本

 

1 感動や想いがある

2 リズミカルで心地よい響き

3 美しい言葉

4 イメージを描きやすい(登場人物の性格・行動がはっきりしている)

5 起承転結がしっかりしている

6 現代にも通じる永遠の真理に近いものが語られている

 

 

 

音読であなたが変わる

 

音読は声を出して読むこと!

大人も子どもも

今すぐできる、一人でもできる、誰にでもできる!

          

音読・読書・読み聞かせ

音読は、五感を使い感性が豊かになります

    エネルギーがわき、元気がでます

読書は、心や思考が深まり、頭がよくなります

読み聞かせは、コミニュケーション、愛情表現

心のスキンシップにもなります

          

     大人が子どもに、子どもが子どもに

      子どもが大人に、大人が大人に

      ↓

   何を読むかが大事です

 日本・世界の古典・名作・偉人伝

心を深める、元気の出る作品

          

感想を話し合いましょう

家族で、友達で、職場で、地域で

 

 

ブリリアント・チルドレン(輝く聡明な子どもたち)は、

ブリリアント・リーディング(素晴らしい音読)

によるということです。

「日本と世界の子どもたちを救う会」では、

子どもが生き生きと輝いて生活するために、

ブリリアント・リーディングを推奨しています。

 

 

 

 

 

音読の効用

 

「生の人間の声」が与える影響力は、大変強いものがあります。

・音読は左脳、右脳の両方同時に作用し、つなぎます。

    

       左脳           右脳

 

       記憶          イメージ

      読む・書く      顔や物の形の認識

 話す          想像・創造

計算・言語        音楽・芸術

意味・文字・数字       情緒・絵画

論理・理性         直感・感情

時間感覚          空間感覚

分析            総合

 

 

       読書と音読

 

 読書には、黙読、唇読、音読(朗読)などいろいろな方法があり、

読書するだけでも多くの情緒的、人間的な高まりが期待できますが、

音読(声を出して読むこと)は、それ以上に大きな効果・効用が報告

されています。

 まず、声に出して読むということは、簡単にいうと右脳・左脳がつ

ながるということです。言語・論理・表現をつかさどる左脳と、イメ

ージ・情緒(じょうちょ)・感性をつかさどる右脳が、同時に作用するため、働きが、

かけ算的に大きくなります。頭で分かったことが、心で理解できると

いうことです。それによって、記憶力も高まり、自分の心の整理もつ

きます。そして人の気持ちもわかるようになり、コミュニケーション

能力も高まります。また、話す・書くなどの表現力が豊かになります。

そして、音楽的効果もあるので、心を解放しますから、ストレス解消

にも役立ちます。また、人間の生の声が与える影響力は、大変に強い

ものがあるともいわれています。昔から伝えられている古文書の中に

も、言葉の音がからだの各部所に共鳴し、五臓(ごぞう)六腑(ろっぷ)にしみわたり、血

液の流れが良くなり健康になると書かれています。

 このように、音読は、心が深まり、より頭脳(ずのう)明晰(めいせき)になり、健康にな

れるという、はかりしれないほどの恩恵があります。「瑞々しい感性と

情緒力」が失われやすい現代文明の病理を克服し、希望と、生きる喜

びと活力を限りなく()だす力を持つものです。

 

 

 

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