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国家戦略研究会議< 趣 意 書 >


 国家存立の為の四大要素として求められるのは、@政治A経済B外交C安全保障だ。そして教育権とは三権に匹敵する程に大切。教育をいかにするかは国家の未来を示唆するリトマス試験紙とさえいっていい。

 

さてその愛するわが日本国であるが、相も変わらず経済の奮闘、伸長には目を見張るものがあるが、残る四つの項目にはあまりに問題がありすぎる。経済では、たとえばアメリカの自動車業界を見渡すときに、今話題沸騰中の環境車やハイブリッドカーをみつめると、何と日本車のシェアーは30%を超える。しかし貿易摩擦はおこらない。アメリカが日本車のような高性能車をつくれないからだ。もちろん日本の企業が現地人主体に雇用し、社長も任せるなど企業努力も目立つが、とにかく日本車の性能が圧倒的に高い。EUでもしかり。世界中がそれを認知している。この世界最高の日本の技術力は10年は続くであろう。自動車だけではない。ITとの融合製品、アニメその他、多くの業種でそれは強い。しかも油断があまり見られない。様々な難問をのり越えていく免疫力も高い。

 

 時代はグローバリゼーションの渦中にある。だから経済が政治をのみ込んでいく可能性もたしかにあろう。だがここで見誤ってはいけないのは、「だから政治や外交は第二義になっていく」などと政治・外交等を見縊る愚だ。国際社会をみつめる際、たしかに国境の壁が低くなった一面もあろう。だが世界各国の経済をみるとまさに国家・民間一体。その最適の例がアメリカや中国だ。フランスしかり、ドイツしかり。市場経済をとり入れたとはいえ、中国などは共産党独裁国家。まさに国家そのものが経済を営んでいる。ある意味で今日ほど政治や外交で経済の態様が決まってしまう時代はなかろう。1990年冷戦が崩壊する。アメリカなどそれまでの仮想敵国第一のソ連が、アメリカが冷戦の勝者とみなす日本へと変わる。アメリカは日本に金融戦争を仕掛ける。日本は連戦連敗。金利ゼロの国など世界に存在するのか。そして日米の金融力の比較をすると、1990年の時点と現在とではあまりに差がつきすぎている。この金融力の差をもたらした理由としてはもちろん多種多様な要因があり、国家総合力の差もあろう。そしてその中でも、政治・外交・安全保障の力量などに支えられる国家戦略力が大きな影響力をもつ。「もう少し政治力や外交力や安全保障力・国家戦略力があれば」と思い至ることが多い。

 

 対ロ外交などをみても、それはヒドい。戦後対ソ外交はかなりがんばった。だがその後よくいえば外交手腕、悪くいえば、結果としてその都度約束不履行や理解に窮するゴリ押しに屈しつづけている。エリツィンとの間で締結されたクラスノヤルスク合意など最悪。いいように金銭だけふんだくられ、日本は得るものがない。ないどころか領土問題でははるかに後退させられている。その点「外交とは」を象徴するようでさえあったのは、モスクワでの「反ファシスト勝利60周年記念日」の前日、ラトビアのリガで演説したアメリカ大統領ブッシュ。彼は「ヤルタ協定ほど邪悪な協定はなかった」と訴える。ロシア・中国など世界の関係国はど肝をぬかれる。なぜなら世界の戦後秩序の根幹体制こそ、単なるプレス・リリースに過ぎなかったカイロ宣言、そしてヤルタ協定、プラス特に日本にとって大きかったのはポツダム宣言体制。これは歴史的進路として

選択の余地のなかった道だが、ネガティブ面を強調すればこの体制に日本はがんじがらめにされる。見方によれば一面では中国などここに徹底的にしがみつき、日本に対する超強硬姿勢をとり

つづけてもいる。領土問題におけるロシアもしかりだ。それをブッシュは、考えようによればソ連の東欧支配をも含めた歴史的反省としてこの協定を一言で否定する。これは20世紀最高の米国大統領といわれるフランクリン・ルーズベルトの地位を引きずりおろすことにも通じる。しかし色々いわれるブッシュではあるが、勇敢にも自らが正義と信じる信念をここに貫く。これは、世界に広がれば可能性として世界の体制、日本の地政学的位置等をも変える歴史的事実になるかもしれない。外交の力のいやまして大切なことを教えられる。

 

 国家の役割の絶対条件は、国民の生命・安全・財産を守ることだ。しかしわが国は法的にこの生命線を放棄している国とさえいってよかろう。憲法第九条二項などの放置は、ズバリ国家の思考停止・知的怠慢・責任放棄そのものといっていい。前文に「諸国民の公正と信義に信頼して」とある。それ自体はけっして悪くはない。だが東アジアの現実とはそんな極楽トンボみたいなことを果たして言っていられる状態であろうか。核兵器や生物兵器を搭載したミサイルが日本列島全土に向けられ、都市という都市がターゲットにさらされている。こういうさ中、「第九条二項を堅持する」などという国が世界に一カ国でもあろうか。この話は今日的にはマンガやブラックユーモアの領域さえ通り越す愚眛にちがいない。少なくとも第二項だけでもいい。国家喫緊の最大課題として改めるべきであろう。冷徹に世界を凝視すると、ビスマルクの時代とその本質はまったく変わったものと果たしていえるであろうか。いかに冷静に思考しても、自らの国を自らが守るは世界各国の国是中の国是。日本のみがそこから逃亡・逃避することはゆるされまい。片面で自らの国は自らが守るという世界の現実的良識中の良識にめざめること。そして片面では日米の絆をより強靭に創造すること。その中でも是は是、非は非としつつ、日本の主体性を毅然として確立すること。これらは現状では難しいことといわれるが、国家の生命線中の生命線と位置づけていくことが肝要と考える。

 

 教育は、くり返すが国家国民の未来を決する。ありとあらゆる英知を結集し、日本史、世界史に学び、現代の良き事例に学びながら、豊かに自己信頼できる教育立国をつくらねばならない。

 

 アメリカの国家戦略などランド研究所等シンクタンクの提言によるところが大きい。だがわが愛する日本には、国家の生命に国家意思、国のかたち、国柄が消えさり、ましてや現代における不可欠中の不可欠、国家戦略力がまるでない。その姿は羅針盤を失い大海に漂う船と表現することは許されないことであろうか。今こそ最喫緊にその設置をこそ求められる存在とは国家の進路、国家の為すべきこと、国家戦略の提言を発信する装置であると信じる。益々、環境その他で地球崩落の危機に直面する現在の世界。地球共同体・地球益・地球生き残りの道も模索し、福沢の言う「私」を「日本」、「公」を「地球益」ととらえ、その発信もしていかねばならない。ここにささやかではあるが『国家戦略研究会議』を立ち上げ、日本国の誤りなき方途の示唆に少しでも寄与貢献できるよう、微力を捧げる所存である。

 

 

平成十九年春

発起人一同

 

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