前:濤川栄太の好んだ言葉次:遺言の書『理想の日本人』『日本の決意』から

濤川栄太の逸話・思い出

 

・濤川先生の自己紹介

「蔵前から来ました」

「濤川の濤は、怒涛の海の濤。海と川と太陽――宇宙が栄えるようにと父が付けた。(学校の)子どもたちは、栄養で太る、と言っています」

「非常に短所の多い人間です」

「父親から『栄ちゃん、そんなわがままな人間は、人に好かれないと生きていけないよ』と言われました」

「自然科学は、不得意です」

「一日一回、今日の自分を、100%の自己否定と100%の自己肯定をして、反省しています。自己否定だけだと、自殺しかなくなりますから」

 

・シークレットキャラクター(1993年当時・作成:塾生有志)

〔体つき〕 身長:183cm 足の大きさ:27.5cm  頭のまわり;70cm  体重:90Kg   以前は125Kg  35Kgの減量に成功。80Kgを目指している。

〔髪型〕 天然パーマ。美容院よりうまくかかっている。

〔血液型・星座〕 A型・さそり座  

〔モットー〕 いかなる場合も、手を抜かない。全力投球。

〔教育的目標〕 子どもの自殺をなくしたい。全世界が子どもの喜びで、キラキラと輝く世の中にしたい。

〔個人的欲望〕 「死んだとき、お骨が雪のように白くありたい」こと。

その為に、完全燃焼して生きる。

〔注目点〕 男女、年齢、肩書、職業を問わず、全世代から慕われている。

すごいパワーでまわりの人を元気にする。

〔音楽〕 クラシック、シャンソン、ラテン、ハワイアン、賛美歌、ニューミュージック、演歌からプレスリーまで幅広い。

〔趣味〕 人生すべて。

〔ニックネーム〕 大仏。ベートーベン。エイ・タドン、濤セン。スーパーマン。怪物。

〔原点〕 絶対・無限・永遠の幸福とは、の追求。

〔短所〕 いっぱいありすぎて書ききれない。

〔長所〕 あまりにも多すぎて書ききれない。

〔好きな事〕 読書。勉強。原稿書き。人にご馳走する事。(「おいしい!」と言われたら最高に嬉しい)

〔好きなもの〕寿司。ビール(キリンの「一番搾り」)。ネクタイとカフスには、かなり凝る。タバコは周りの人への害を考え、やめた。真紅の薔薇。富士山。太陽。海。

〔好きな人〕 坂本龍馬。高杉晋作。吉田松陰。ロマン・ローラン。大石良雄。日蓮。若き日の信長。マルセル・プルースト。カフカ。ヤスパース。ハイデッカー。ビビアン・リー。キム・ノバク。山頭火。宮本武蔵。ブルーノ・ワルター。宮澤賢治。シラー。ユング。ペスタロッチ。常不軽菩薩。アル・パチーノ。マーロン・ブランド。ゲーリー・クーパー。濃姫。「罪と罰」のソーニャ。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ。エバ・ガードナー。ジョン・F・ケネディ。R・ケネディ。ロック・ハドソン。ハンフリード・ボガード。

浜口雄幸。長嶋茂雄。石原裕次郎。品位とあたたかみのある人。きれいに生きようとする人。とにかく基本的に人間好き。

 

〔父親の言葉〕「男は自分が水を飲んでも、他人に奢りなさい」

「国宝を見分けるには何度も贋物をつかまされ、血尿を出しながら分かるようになるのだ」

「人生辛いことがいっぱいあるけど、大石良雄の気持ちになりきると良いよ」

「自由に生きなさい。責任はすべて自分がとるしかないのが人生だ」

「他人の苦労の分からない人間にはなってほしくない」

「世界に不幸がある限り、我に幸いはない」(主意。宮澤賢治)

 

〔母親の言葉〕「塩をなめても、人様への義理は果たさなければいけません」

「悪いことをしたら、お母さんは喉を突いて死にます」

「オリオンまでもカシオペアまでも伸びてね、栄ちゃん」

 

・あらためて、濤川先生を評すると…!

 

・0歳から100歳までが同居している人。

・子どもは1分、大人も5分で、心を開く。

・人と人を繋げる天才。

・人の心に火(灯・パトス)を灯す天才。

・教育相談の魔術師。

 抱きしめているだけで、自閉症が治った。

 抱きしめただけで、登校拒否児が次の日、学校へ行った。

 講演を聴いたお母さんが、「悪い母親だった」と反省して涙をポロポロ流して家に帰ったら、子どものチック症が治っていた。

 講演を聞いて、本を買っていった保護者の子がみな、次の日登校してきた。

 10年間親と口をきかなかった子と、電話で30分話しただけで、親に連絡をしてきた。

 

・先生と接していると、「嬉しい」「楽しい」「元気が出る」「希望を持てる」「日本にこんな人がいたのか!」「先生のようになりたい!」「世の中に知らないことがあるのか?」「神仏みたい」「話が面白い」「魂の感動がある」「魂がふるえる」「目標がもてる」「自信が出る」「しあわせな気分になる」「食べ物が美味しくなる」

 

政治家・「頭がクリーンになり、整理されてくる」「ブラックホールのように飲み込まれそう」

 

経営者・「自分のやるべきことが次々見えてくる」「次の企画・商品が閃く」

 

・先生の短所を集約:短気。わがまま。見栄っ張り。かっこつける。贅沢。お金遣いが荒い。大風呂敷。数が大きい。怒鳴る。時間にルーズ。自分を通す。騙されやすい。お人よし。情に流される。さみしがり。せっかち。天動説の典型。何を考えているのか掴めない。

 

・先生の長所を集約:声がいい。歌がうまい。センスがいい。おしゃれ。信念が強い。愛情が深い。頭がいい。憎めない。諦めない。夢が大きい。ネバーギブアップの人。風呂敷を必ず包む。優しい。チャーミング・ガイ。笑顔がさわやか。一度会った人の顔を忘れない。志の塊。憂国の士。筋を通す。礼儀正しい。何事も天才的。義理人情の人。弁舌がうまい。ひとまねがうまい。天衣無縫。ニックネームをつけるのがうまい。笑わせるのが上手。迫力がある。大らか。スケールが大きい。

 

・歌のレパートリー:赤いグラス。青い星くず。明日は明日の風が吹く。逢えてよかった。熱き心に。あばよ。アドロ。亜麻色の髪の乙女。アマン。愛の賛歌。愛燦燦。アヴェ・マリア。いい日旅立ち。いちご白書をもう一度。粋な別れ。駅。踊り子。思いすごしも恋のうち。大阪暮色。思い出のサンフランシスコ。お嫁サンバ。嘘は罪。海その愛。思い出。俺は待ってるぜ。お前にゃ俺がついている。思い出のブランデーグラス。大阪。勝手にしやがれ。川の流れのように。カタリカタリ。枯葉。帰れソレント。刈干切り唄。悲しい色やね。北へ。聞かせて愛の言葉。勝手にシンドバッド。気分しだいで責めないで。北街角。北の宿から。京都の夜。京都から博多まで。空港。グッバイデー。紅の翼。狂った果実。恋は赤いバラ。恋の町札幌。恋唄つづり。恋人よ。恋は終わったの。恋のバカンス。小雨降る径。五番街のマリー。五月のバラ。悲しき口笛。恋人もぬれる街角。かもめが翔んだ日。秋桜。乾杯。ギターを持った渡り鳥。サライ。サントワマミー。サバの女王。しおりのテーマ。白いギター。失恋レストラン。時間よおまえは。スローモーション。好きにならずにいられない。砂に書いたラブレター。ジョニーへの伝言。出航(さすらい)。ザナドゥ。セカンドラブ。時間よ止まれ。さすらい。シークレットラブ。錆びたナイフ。そして神戸。スターダスト。さよならをするために。さよならをもう一度。白い手袋。ジェラシー。誰かが誰かを愛してる。旅人よ。ダニー・ボーイ。誰も寝てはならぬ。中央フリーウエイ。津軽海峡冬景色。TUMAMI。つぐない。手紙。テネシーワルツ。東京。東京花売り娘。旅人よ。嘆きのメロディ。なごり雪。虹と雪のバラード。人形の家。22歳。泣かせるぜ。花と竜。パリの屋根の下。パシフィックホテル。バラ色の人生。パダンパダン。氷雨。ビギン・ザ・ビギン。舟唄。ブーメランストリート。ふれあい。ブルー・カナリア。ぼくにまかせて下さい。慕情。ぼくの妹に。ブランデーグラス。バラ色の人生。ママ。マイウエイ。マイフェア・レディ。待ってる女。マドンナたちのララバイ。みあげてごらん夜の星を。港の灯。無縁坂。迷い道。メロディ。モナリザ。モッキン・バード・ヒル。夢芝居。横須賀ストーリー。よろしく哀愁。夜霧の慕情。夜霧よ今夜もありがとう。ルビーの指輪。ラブ・アフェアー。ラヴレターズ。ラストダンスは私に。リバイバル。別れの朝。私はピアノ。鷲と鷹。わが人生に悔いなし。ほか

 

・濤川先生の思い出…スタッフから。

 

・一人ひとりが皆本当に、大事にして頂きました。時には非常に厳しく叱られ辛いこともありましたが、それぞれの成長を心から思っていて下さっていましたし、気も遣って頂きました。

 

・原稿を書くスピードが速く、ふだん400字詰原稿用紙を1時間に12枚位書かれました。病気が快復した後も16枚という時がありました。書くことが追い付かないというようで、字はミミズが這ったよう。ご自分でも読めない時もありましたが、いわゆる、書き損ねて原稿用紙を丸めてポイというのは一度も見たことがありませんでした。

 

・先生は、「原稿を書く時に、何を書こうか考えるようになったら、筆を置くよ」と言っていましたが、ついにそういう時は訪れませんでした。

 

・人と話す以外は、いつも活字を読んでいました。活字がなければ生きていけない程、本当に嬉しそうに読んでおられました。学生時代から授業を聞きながら別の本を十数冊机に積み上げて読んでいて、指されるとちゃんと答えていたと、親友の方から伺いましたが、私たちが報告する時も、いつも何かを読みながらちゃんと答えられ、聖徳太子のようでした。

 

・「読書量が10万冊を超えると、今まで読んだ知識がすべて繋がってくるんだよ」と、誰かの質問に答えられていました。100+100=200のものが、掛け算にすると10000になる現象が頭の中で起きているような、洞察力とか、判断力とか、推理力、推察力、直感力など修行僧が得るような特殊な能力が備わってくるというような感じでした。数人の方が、先生の頭の中を見てみたいと言っていましたが、本当にそうで、書店に行くといつも10数冊買うのに10分位しかかかりません。並んでいる本棚の背表紙を見て取ってパラパラ見るだけでパッと決めてしまいます。「そんなに早くてわかるのですか?」と尋ねた時、「本の背が『読んでくれ!』というように光っているからすぐわかるのだよ」。そして買ってきた本を読むスピードは、ただ1枚1枚めくっているだけに見えます。「斜め読みですか?速読ですか?」と聞くと、特別速読をやらなくてもページを開くと全体がつかめるという。

本や雑誌など1日4〜5冊と、新聞を5〜6紙読まれていました。時々1〜2カ月かけてじっくり読まれている本もありましたし、4〜5冊併読されてもいました。なんとも不思議な読書法でした。

 

・資料調べの仕事をさせて頂いておりました。先生はほとんど資料を見ながら執筆されるのではなく、頭の中に資料が入っているようでした。原稿を書かれて、以前読んだものだからはっきり記憶しているか分からないから調べるように言われ、図書館へ行って調べてみると、ほとんど間違いがないので、いつも驚きとともにその記憶力に「凄い!」と感心していました。

 

・講演の内容は、地球の問題や世界情勢から、日本の状況、地域、家庭、個人…というように、鳥瞰図的な視野からミクロへの流れでお話しされることがよくありました。そうすると、視点がフォーカスされたように、だれでも今の自分とのピントがぴったり合うような説得力を感じたのではないでしょうか。

 

・「新・松下村塾」開塾の真意の一つに“人類生き残り”があります。ある時、「地球の問題は地球だけのことではなく、太陽系、銀河系にも影響していくのだよ」と言われました。その時は、驚きとともに、内心なぜ先生がそんな事がわかるのかしら?と、正直怪訝な気持もありましたが、最近読んだ書物の中でそのようなことが書かれているのを見つけ改めて、先見性というか、洞察力というのか、普通ではなかった!と思い返しています。

 

・「新・松下村塾」開塾の真意のもう一つは、政治家を育てること、発掘することがあったと思います。晩年、やむにやまれず「輝け日本!」という政治団体を立ち上げ、様々に活動されていましたが…、それが寿命を縮めたのではないかと思います。

 

 ・塾は塾長が命がけで皆様に思いを伝えて来た場所であり、あまりにも緊迫した世相にあって、真剣で怖いくらいの思いをぶつけ、吠えているような印象を持たれている方が多かったと思いますが、本来の先生の講演は、笑いあり涙あり、抱腹絶倒。安心感あり、緊張感ありの、人間の持つあらゆる感情を揺さぶられる、まるでライブのステージのようでした。ある方は、塾長のお話は、どこよりも格調高く、007のように奇想天外でスピード感あり、漫才よりも面白いと言われました。
 価値観はなかなか共有できないものかもしれませんが、濤川塾長を慕い、尊敬し、学びを得て、日本や世界を考え、社会を考え、生き方を考えるという共通の心情を持った仲間がいるということは、なんと幸せなことであるか―と感じておりました。塾長は闘病のため塾に行けない時、いつも「塾に行きたいよ!皆と会いたいよ!」とつぶやいていました。
 その心の絆こそが、濤川精神でもあり、世界に広げていきたい日本のぬくもりの心だと思います。そういう塾長の心の遺伝子を持った方々を、数多く輩出していくのが、濤川平成塾(旧新・松下村塾)の究極的な使命でもあったと思います。

 

 ・塾に見えた多くの方が、自分なりのセミナーや活動や企業を起こされていきました。たった月一回しかありませんでしたが、お会いするうちに、塾生の方々がどんどん洗練された雰囲気になっていき、目を見張りました。

 

 ・小学校の先生をされていらしたので、どんなに難解な内容でも、大変に分かり易くお話しされました。初めて「塾」に見えた方々は、今まで考えたこともない内容で、頭の中がひっくり返ったような衝撃を受けたが、5回位受講すると、テレビや新聞の報道の奥まで理解できるようになった。また、見識のある方々とも、それなりに対等にお話が出来るようになったと語っていました。

 

・先生には、ごまかし・ウソが全く通用しませんでした。これは内緒にしておきましょう、と打ち合わせていたことも、必ず、徹底的に質問されると、話さなければならなくなってしまいます。「不思議とピンポイントのように突いて来られる」のは何故だろうと皆でよく話しました。誰でも何度か経験しています。

 

 ・何といっても、よく「大笑い」をしました。先生がお元気でいらした頃は、毎日事務所で大笑いしたものです。先生は何か面白いことを言おうとしていて、ご自分が可笑しくて、笑ってなかなかお話できなくなるほどのこともよくありました。先生が事務所にお見えになる時はいつも、階段から笑い声か、歌声が聞こえて来て、「あぁ、先生が見えた」と分かったものです。高杉晋作の「面白きこともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」とありますが、本当に先生は面白いことを見つけて笑わせる天才でした。
 それまではあそこまで大笑いしたことはありませんでした。でも、今はもうありません。頬が痛くなり、お腹がよじれる程で、もうこれ以上笑わせないで!という位の大笑いをしたものです。亡くなられる数日前、あまり食欲がなく、おいしい肉まんならと勧めたところ、食べないとのこと、私達ががっかりしたら、とっさに「共食いになっちゃうからね」とおっしゃり、大笑いをしました。辛い病床にあっても、時々そのようにユーモアをもって笑わせて下さる先生でした。

 

 ・思い起こせば塾長は、「冷戦の終結」、「ソビエト連邦の崩壊」、「ベルリンの壁」の崩壊の予測も、小学校教師の時から職員会議で発言されていました。教育問題では、「子殺し、親殺しの世相」、日本の「歴史教科書」問題、「音読による脳と心の活性化」のすすめ、「音楽療法」、「抱きしめる教育」等の提言もそうです。また、「環境問題」、「人類生き残りへの警鐘」、「世界から尊敬される日本」、「愛」、「地球益」等、塾長の発言は、世間がその変調に気付くはるか十年以上も前から警鐘を鳴らしていた様は枚挙にいとまがありません。「北海道世界食糧供給センター構想」、「世界連邦創設」も、人類が今本気になって取り組まなければならない重要な提言です。「国際ハブ空港」の重要性、「地域主権型道州制」も、大きなイベントを組み社会に訴えるなど、日本社会の本質にくすぶる問題を深く掘り起し、社会活動に展開し、世にさらしてまいりました。塾長は本当に「これだ!」と思ったことは、ものすごい行動力で、まるでブルドーザーのように日本の地ならしを続けられたように感じます。
 そして、税制の問題にも触れ、日本経済の活性化には、福沢諭吉・松下幸之助等、日本の先覚が無税国家論を説いたように、所得税・法人税・相続税はゼロにしなくてはならないと提唱しておりました。
 「ラストチャンス」の本で、このままでは日本は、4等国、5等国になってしまうと危惧されていましたが、本当にそのような状況になろうとは…。そういう意でも今、日本は大きな岐路を迎えていると思います。

 

 ・うちの子は「体育ばかり出来たって…」というお母さんに。
 「昔、ギリシャでは、学問は体育と音楽しかなかったんですよ!学問の基本なんですよ」。いつも、何とも言いようのないほど、適切な答えをされていました。

 

 ・面倒見がよく、気風が良かったです。割り勘が嫌いで全部自分で持ってしまうのでいつもヒヤヒヤしました。タクシーのおつりも貰わないし、私たちにも「値切るのはやめてくれよ!」「支払いは早くしてくれよ」と。その時はそれが良いこととも思わずに、そのとおりに出来なかったのですが、今思うと、先生を小さくしてしまったなぁ、と自責の念を持ちます。

 

 ・よく「自分と巡り会った人はみんな幸せになってもらいたいんだよ」と言っていましたが、確かに先生と会談したり、縁を持たれた方はその後、何故かはわかりませんが、目覚ましく活躍されました。先生の「祈り」があったのでしょうか。どなたにも、道路で車や人が見えなくなるまで見送られていました。

 

 ・お元気な時はいつも年賀状は、筆で自筆で書かれていました。毎年何の字を書かれるのか楽しみでした。愛・希・花・力・○・笑・喜・慈・謝・勇・夢……。1000枚近くの枚数を一気に書き上げられるのですから、それはもう大変でした。事務所の机から床まで新聞紙を敷いて、その上に並べていくのですが、総出でやってもてんてこ舞い。受け取られた方は、まさかと思うのか「これは本当に、印刷でなく先生の直筆ですか?」と問い合わせの電話も入りました。
ゲームのように楽しい年中行事でした。

 

 ・教育講演会は、地域によっては、暗く沈んだような所もあって、集まった方々が、皆下を向いている中で始まることがあります。先生がお話をして、30分から、かかる所では60分位すると、皆が上を向きはじめ、そのうち前に乗り出して、笑ったり泣いたり、真剣に目を見張ったりします。そして、終わりごろには笑顔でピンク色に上気していく姿の変化に驚きもし、安堵もしました。
 「自分の教育法は間違いない、これでいいと自信をもちました」
 「まるで、私の生活をどこからか見られていたような…」という感想を持たれたとのことです。
 ほとんどの講演には、レジメを用意しません。準備はされていますが、その時会場に集まった方々のお顔を見て、どの話に一番のってくるかを探って、話の内容を変えていかれたようです。
 また、全く興味がなさそうな人や、絶対に笑わないぞ!と、思っていそうな人を見つけて、その人を引き込むことが出来たら、この講演は成功だという目安にしていたといいます。
 講演が延びる時が多く、ここで止めていれば最高なのに!と思う事がしばしばあり、生意気にも怒気を含んだ提言をしたこともありましたが、「一期一会なんだよ。これが初めてで最後になるかもしれないから、全力で全てを伝えたいのだ」とおっしゃいました。その時は講演主催者の評判の方が気になり、先生の真意が分かりませんでした。

 

 ・笹川良一先生と塾長がお会いした時のことです。「貴方の方からこちらに風が吹いて来る。私はいつもそう言われていますが、初めての経験です。私もそうですが、貴方は世の中を掃除に来た人ですね」。笹川先生が88歳。塾長は44歳の時でした。笹川先生は真っ赤なネクタイをされて、椅子の手すりを持って懸垂をされました。健康法は、エレベーターを使わずに階段を上られる事、毎朝メザシを食べる事。「私が日本にいる時は、貴方をVIPのNo.1にしましょう」と言われました。付いて行った一人ひとりにも、心を籠めた迫力のある握手をして下さいました。

 

 ・塾長はよく、「生きるのが楽しくて、寝るのがもったいない」と口にしていました。アインシュタインの「人間は他人の為に生きている」と、頼まれないのにお節介なくらい自分から世話を焼いていました。それでいて世話が焼ける部分もありましたが…(笑)。礼儀正しいのに、おっちょこちょい。せっかちなのに、悠然自若。大らかなのに、細かい。大胆不敵で、繊細。攻撃的で、優しい。無理が通れば、道理が引っ込む。甘え上手で、純情。我儘なのに、気を遣う…。把握しきれない不思議なキャラクターでした。憧憬と共に、うっとうしい位の情熱を感じた人もいたでしょう。一心不乱に取り組む異常さもありましたが、何か事を成すには、そうでなければ出来ないものでもある、と思います。今思うと、すべては本質でもありましょうが、もしかしたら演じていたところもあるのかも…?しれません。自由自在に…楽しんで?!

 

 ・濤川先生には、人生の深みも、諦めないことも、大事なことをいろいろと教えて頂きました。先生のあの大らかさ、高さを思うと、今でも心が安らぎます。様々な活動の中では、妨害、中傷、いやがらせ、誤解など色々な事がありましたが、いつも一言も弁解・弁明されずに、全てを自らに引き受けて、悲しいこともストレスもいっぱいあったと思いますが、ただ黙々と「今から、ここから、自分から」を実践されていました。濤川先生にお会いできたことは、私の人生の“宝物”です。

 

 ・野球が大好きで、とくに長嶋茂雄さんには、異常なほどでした。長嶋さんが監督をやめれば、新聞も止めてしまい、巨人以外全部を応援するという具合です。石原裕次郎さんと長嶋茂雄さんには強烈で、青春の熱い血たぎる情熱のシンボルだったのでしょうね。

 

・「こんな苦しい、辛い病気は私一人だけでいい!」。病気が回復し、闘病記を書かれた時の言葉です。そして「自分でなければ耐えられなかっただろうから」とも。二度目の闘病では、もっと辛く残念だったでしょうが、常に前に向かって努力されていました。せっかちで、寂しがりだったのもあんなに寿命が短かったのなら、仕方なかったのかもしれませんね。

 

 ・濤川先生のお仕事をさせて頂いたお陰で、社会で活躍されている“超一流の方々”にもお会いさせて頂くことができました。その共通点は、皆様まず優しいですね。ご自分には厳しいのでしょうが、謙虚というか威張らないですね。本当の思いやりというのでしょうか、見守って下さっているという感じが伝わってきます。

 “天を相手にしている”?“器”の勝負、なのかなと思います。

 

・小学校教師時代の“ユニークな教育法”に少し触れたいと思います。

チャンピオン賞もそうですが、そのほか個性的な授業をされていました。

・小学2年生の子どもたちに、ハイネやゲーテ、ホイットマンの詩集を読ませる。

・クラッシックの曲に、子どもたちに歌詞をつけさせ、クラスで歌う。

・「青の洞門」「ガンジ―」「アンネの日記」などを寸劇にして、演じさせる。

・再生思考能力を育てるために、ドリルをたくさんやらせた。

・放課後、遅くまで補習をさせ、ラーメンを食べさせて家まで送ったりした。

・古典や名作文学をたくさん読ませ、クラッシック音楽もよく聴かせた。

・夏には、海水浴…、などの課外授業も。… その他いろいろ…。もっとしっかり聞いておけば良かったと思います。

 

・印象に残っているのは、「日本の上空にはジェット気流が交差しているから、世界中の空気の汚染が日本に降ってくる。地球上のどこかで行った原・水爆の実験も、すべてが日本に来てしまう。海流もそう。不条理な事でもあるが、だから日本は世界を浄化する使命がある。環境問題を解決するために貢献しなければならないという立場にある」と語られた事です。

それから、石原裕次郎さんが亡くなられた時に参列されてある人から受けた質問。「人は死んだらどうなるか」について宗教ではなく教えてほしいと言われ、岡部金次郎さんの本を引用して「魂には、生命の核というものがあって、活性状態が生で、非活性状態が死である」と答えられたという話をお聞きしました。まだ始めの頃でしたので、この先生はどんな角度からの質問にも答えられるのだと、驚いたというか、畏れ入ったものでした。

 

 ・濤川栄太先生という個性の強い方に、よくぞ皆さん付いて来られましたね、と言われることがあります。確かに何度か辞めたくなることはありましたが、その支えになったのは、当初全国濤川会というのがあり、その会長にある時呼ばれ「私も剣道の権威の先生に長年仕えてきたから分かるのだが、それは大変だった。濤川先生もそうだと思うから、もし後で辞めることがありそうだと思ったら、今のうちに辞めて下さい。」と、引導を渡されたのです。その時の覚悟があればこそ…途中で挫折せず、何があってもとことんやって来ることができたと感謝しています。濤川先生に、日本・世界の将来と夢と希望を託し、私たちも多少ながらお役に立てたのではないかと思い、先生のお仕事をさせて頂いたことを光栄に思っております。

 

 

 

 

 

 

 

 

前:濤川栄太の好んだ言葉次:遺言の書『理想の日本人』『日本の決意』から

〜HOME戻る〜

inserted by FC2 system